40歳。頑張りすぎた私へ。他人軸をやめて、自分軸で生きるということ

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先日、職場の飲み会でこんな言葉をもらいました。

「いつも気を張っている」

「いっぱい飲んだくらいで働けばちょうどいい」

「緩んだぴこた先輩を見てたら、切なくて泣けてくる」

「周りに削られている姿を見ていて、痛々しい」

私は、へべれけになるくらい飲んでしまいました。

その言葉が、沁みすぎて。


ずっと「正解」を生きてきた

長女として生まれ、「親の顔に泥を塗ってはいけない」と育ちました。品行方正を保ち、公務員として規律を守り、母親として子どもたちに正解の姿を見せ続けました。

特につらかったのは、3人の子どもが不登校だった2年間です。

子どもたちの人生の基盤を、全部一人で背負っているように感じていました。誰にも「しんどい」と言えないまま、自分を鼓舞し続けて——気づいたときには、バーンアウトしていました。

それでも私は、「これが仕事であり、大人の責任だ」と思っていました。ゆっくりのんびり好きなことをするのは、定年退職後の楽しみ。または、FIREを達成した後の報酬。今は頑張る時期だ、と。


他人軸で生きるとはどういうことか

最近、「他人軸」と「自分軸」という言葉を知りました。

他人軸とは、判断の基準が常に「相手がどう思うか」にあること。自分がどうしたいかより先に、どう見られるか、どうすれば正解か、を考えてしまう思考パターンです。

私はまさに、これでした。

何かを決めるとき、まず浮かぶのは「これをしたら迷惑じゃないか」「どう思われるか」。自分がどうしたいか、に気づくことすら、長い間できていませんでした。


自分軸は、わがままじゃない

「自分軸で生きる」と聞くと、最初は怖くなりました。体たらくな人間になって、社会的に終わるんじゃないか、と。

でも、それは違うようです。

自分軸とは、他人を無視することではなく、自分を無視しないこと。「相手がどう思うか」より先に、「私はどうしたいか」を3秒だけ先に考える、ということ。

先日、休日に「ぼーっとしたい」と気づいて、朝寝をしました。体調を崩していたこともあり、起き上がれなかった。すると子どもたちが家事をしてくれて、息子は祖母を頼って部活に行きました。

何とかなったんです。

「私がしっかりしなければ」と思い込んでいたけれど、少し手を放したら、周りが動いてくれた。それが、小さな気づきでした。


体は正直だった

最近、耳鳴りがひどくなっています。二日酔いが2日続いたこともありました。気力がわかない日もある。

体が「もう待てない」と言い始めているのかもしれません。

「楽しいことは将来の報酬」と思って走り続けてきたけれど、体はもう今、限界のサインを出しています。アーユルヴェーダを学んできた私が、自分の体のサインを一番見落としていた。

皮肉だな、と思います。


長年の癖は、すぐには変わらない。でも。

「自分軸で生きる」と決めたからといって、すぐに変われるわけではありません。長年染み付いた思考パターンは、意志だけで変えられるものじゃない。

だから今は、特別なことは何もしないことにしました。

ただ、何かを決めるとき、「私はどうしたいか」を少しだけ先に聞いてみる。それだけ。

ぼーっとしたい日は、ぼーっとする。きれいな景色を見たいと思ったら、出かける。それを「もったいない」と責めるのをやめてみる。

小さなことだけど、それが今の私にできる、自分軸への一歩です。


あなたも、頑張りすぎていませんか

もしこの記事を読んでいるあなたが、いつも誰かのために動いていて、自分がどうしたいかわからなくなっているなら。

今日だけでいいので、一つだけ聞いてみてください。

「私は今、本当はどうしたい?」

答えが出なくても大丈夫です。気づこうとすること、それが最初の一歩だから。

私もまだ、途中です。一緒に、ゆっくり変わっていきましょう。


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ぴこた【一週間で実感できる体調変化】
保育士・3児のママ。スリランカで14日間のパンチャカルマを体験したヴァータ体質の私が、
30〜50代の働く女性に向けて体質改善の実践を発信しています。

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