子どもへのイライラは自分の問題だった|コップが空のまま頑張り続けた私の気づき

心とエネルギー

子どもに対して、イライラが止まらない。

やるべきことをやらない。だらだらしている。言っても変わらない。

そんな子どもの姿を見るたびに、胸の奥がざわざわして、気づけば声を荒げてしまっていた。

でも最近、ふと気づいたことがあります。

このイライラの根っこは、子どものことだけじゃなかった。

実は、自分自身の問題だったのかもしれない、と。

「ちゃんとしなきゃ」が積み重なっていた

もともと私は、のんびりした性格でした。

でも社会人になり、母親になるにつれて、いつのまにか「ちゃんとしなきゃ」という気持ちが体に染み付いていきました。

誰かに迷惑をかけたくない。嫌われたくない。めんどくさいと思われたくない。頼りない人だと思われたくない。

そういう怖さが積み重なって、いつも全力で、手を抜けない自分になっていた。

やると決めたら完璧にやる。やらないなら最初からやらない。そういう0か100かの生き方が、気づかないうちに当たり前になっていました。

保育士という仕事も、この傾向に拍車をかけていたと思います。仕事では常に「見本」でいなければならず、気を抜く瞬間がほとんどありません。その緊張感を家庭に持ち帰ってしまい、子どもたちにも無意識に同じ基準を求めていたのだと思います。

自分が頑張っているから、子どもにも頑張ってほしかった

毎日一生懸命やっている。手を抜かずに生きている。

だから、子どもにも同じようにしてほしいと思っていました。

でも子どもは、平気な顔でゆったりしている。

その姿を見て「ずるい」と感じていた自分に、あるとき気づきました。

イライラしていたのは、子どもへの怒りだけじゃなかった。

自分がずっとできなかった「気軽に生きること」を、子どもが当たり前にやっていることへの、嫉妬だったのかもしれない。

思い返せば、宿題をやらずにゲームをしている息子を見て湧き上がる感情は、単純な「心配」だけではありませんでした。「私はこんなに我慢してやることをやっているのに」という、比較からくる苛立ちが確かに混ざっていたのです。

この感覚に気づいてから、自分の感受性の強さについても考えるようになりました。人の些細な表情の変化や、場の空気の乱れに人一倍敏感に反応してしまう自覚は、以前からありました。友人に「HSPなんじゃない?」と言われたこともあります。感じ取る力が強いぶん、子どものちょっとした態度の変化にも過敏に反応し、それが積み重なってイライラという形で溢れ出していたのかもしれません。

HSPをアーユルヴェーダで読み解く|ヴァータ体質と繊細さの深い関係

コップが空のまま、与え続けていた

誰かの役に立てることが嬉しくて、頑張ることが好きだった。

でも、自分のコップが満たされていないのに、与え続けることに慣れてしまっていました。

コップの満たし方を、知らないまま大人になっていた。

子どもへのイライラが止まらなかったのは、もしかしたらそのせいだったのかもしれません。

余裕がないから、思い通りにならないことに耐えられなくなっていた。

アーユルヴェーダを学ぶ中で知った「オージャス」という考え方が、この感覚をうまく説明してくれました。自分の生命エネルギーが枯渇している状態で、子どもという「思い通りにならない存在」に向き合うのは、燃料が切れかけた車で坂道を登ろうとするようなものです。うまくいくはずがありませんでした。

オージャスという考え方について、詳しくはこちらに書いています。
オージャス枯渇とは?頑張りすぎる保育士が気づいた「輝きが消えていく」感覚

決めつけていたのは、私自身だった

このイライラの根っこを掘り下げていくうちに、もうひとつ気づいたことがあります。

「宿題をやらない子」「だらしない子」——私は、子どもの一時的な行動を、まるでその子の人格そのものであるかのように決めつけていました。

たまたま今、宿題をやっていないだけなのに、「この子はいつもこうだ」という色眼鏡で見てしまう。そうやって決めつけた瞬間、子どもの側もそれを敏感に感じ取り、余計に反発したり、萎縮したりしていたのだと思います。

これは、子育てに限った話ではありませんでした。職場の人間関係でも、家族との会話でも、私は無意識のうちに「この人はこういう人」という決めつけを重ねて生きていたのだと、後になって気づかされました。

人に決めつけられて傷つく理由|「人は鏡」という言葉の力に気づいた話

「母親だから」「女性だから」という枠組みの重さ

母親だからしっかりしなきゃ。

背中を見せなきゃ。手本にならなきゃ。

そういう枠組みの中で生きていると、自分を後回しにすることが当たり前になっていきます。

そして気づかないうちに、自分自身が何を感じているか、何を求めているかが、わからなくなっていく。

私が本当に求めていたのは、子どもを変えることではなかった。

「頑張ってきたね」と、誰かに認めてもらうことだったのかもしれません。

この「他人からの評価を判断基準にしてしまう」感覚については、別の記事でも詳しく書きました。振り返ってみると、子どもへの態度も、職場での振る舞いも、根っこは同じところから来ていたのだと思います。

他人軸をやめて自分軸で生きる方法|頑張りすぎた40代が気づいたこと

コップの満たし方がわからない

自分を満たさなきゃ、とわかってはいる。

でも、どうやって満たせばいいのか、正直わかりません。

好きなことをしよう、休もう、自分を大切にしよう。そういう言葉はたくさん見てきた。でも「じゃあ具体的に何をすればいいの?」と問われると、答えが出てこない。

長年染み付いた思考は、そう簡単には変わらない。頭でわかっていても、体がついてこない。気づいた瞬間には元の自分に戻っている。

そして、変えられない自分をまた責めてしまう。

今の自分はだめだ。もっと緩く生きなきゃ。変わらなきゃ。

そう思えば思うほど、「緩まなきゃ」と力んでいる自分がいる。

緩もうとして、力んでいる。

なんだか笑えるような、でも笑えないような。

ある夕方の、具体的な場面

抽象的な話ばかりでは伝わりにくいと思うので、ある日の具体的な場面を書きます。

仕事から疲れて帰った夕方、リビングに入ると、宿題を広げたまま寝転がってスマホを見ている息子がいました。

「宿題やってないじゃない」

その一言が、思っていた以上にきつい口調で出ました。息子は「今やろうと思ってた」とだけ返し、それ以上何も言わず宿題に向かいました。

その場は収まりましたが、私の中には後味の悪さだけが残りました。息子が悪いことをしたわけではありません。ただ「やろうと思っていた」タイミングが、私の疲労の許容量を超えたタイミングと重なってしまっただけでした。

もし同じ場面を、休日の朝、たっぷり眠って余裕がある状態で見ていたら、私はきっと「早めに終わらせちゃおうか」くらいの声かけで済ませていたと思います。子どもの行動は何も変わっていないのに、私のコップの状態によって、まったく違う反応が返ってしまう。

このズレに気づいたことが、「これは子どもの問題ではなく、私の状態の問題だ」と確信するきっかけになりました。

涙を流すことも、コップを整える一つの方法だった

コップの満たし方を模索する中で、意外な発見がありました。

我慢していた感情を、涙という形で外に出すこと。それ自体が、コップの中に溜まった澱んだ水を入れ替える作業だったのです。

泣くことを「みっともない」「弱い」と長年避けてきましたが、感情を溜め込むことの方が、実はコップを重くしていたのかもしれません。

泣くことは感情のデトックス|アーユルヴェーダが教える心の浄化とオージャス回復

変えなくていい、かもしれない

ここまで考えてきて、ひとつだけ思ったことがあります。

もしかしたら、変えなくていいのかもしれない。

ちゃんとしようとする自分も、頑張ってきた自分も、それがあったから今の自分がある。全部ひっくるめて、自分だった。

変えるというより、そこに「気づいている」だけでいいのかもしれない。

あ、また力んでる。あ、またコップが空になってる。ただそれに気づくだけで、少しだけ自分にやさしくなれる気がする。

完璧な答えはまだ出ていません。でも、気づけただけで、今日は少し楽になれた気がしています。すぐに全部を変える必要はなく、気づいた瞬間から少しずつ、というペースで十分なのだと、今は思っています。

「頑張り屋の母親」というアイデンティティを手放す怖さ

コップの満たし方を模索する中で、もうひとつ気づいたことがあります。

私は「頑張っている母親」であることに、どこかアイデンティティを重ねていました。手を抜かない、弱音を吐かない、いつも全力で子どもと向き合う——そういう自分像を、無意識のうちに大切にしていたのです。

だから、「自分を満たすために手を抜く」という選択は、単なる休息以上の意味を持っていました。それは「頑張り屋の私」を手放すことのように感じられ、怖さすらありました。

でも実際にやってみると、少し手を抜いた日の方が、子どもたちとの時間は穏やかでした。完璧な母親でいようとするほど、余裕がなくなり、結果的に子どもに厳しく当たってしまう。この矛盾に気づいてから、「頑張ること」と「良い母親であること」は、必ずしもイコールではないのだと思えるようになりました。

子どもへのイライラが減った、小さな変化

この気づきを得てから、劇的に穏やかな母親になれたわけではありません。

それでも、以前と違うことがひとつあります。イライラが湧いた瞬間、「あ、今コップが空だな」と一呼吸置けるようになったことです。

声を荒げてしまう前に、その一瞬の間があるだけで、子どもに向ける言葉が少しやわらかくなりました。完璧にコントロールできているわけではありません。それでも、「気づける」ようになっただけで、親子の空気が確実に変わった実感があります。

子どもたちの方も、以前より少しリラックスしているように感じます。もしかしたら、母親のコップが空か満ちているか、子どもたちは言葉以上に敏感に察知していたのかもしれません。私が変わろうとする姿勢そのものが、家庭全体の空気を少しずつ変えていったのだと思います。

よくある質問

Q. イライラした瞬間、どうすれば子どもに強く当たらずに済みますか?

私自身、完璧にはできていません。それでも「あ、今コップが空だ」と気づく練習を重ねるうちに、声を荒げる前に一呼吸置ける回数が少しずつ増えました。気づくことと、コントロールできることは違いますが、気づくことが最初の一歩になると感じています。

Q. コップを満たすために、具体的に何をしていますか?

正直、今も模索中です。ただ、我慢していた感情を涙として外に出すこと、誰かに正直な気持ちを話すこと、この2つは私にとって効果を感じやすい方法でした。詳しくは後述の記事にまとめています。

Q. 子どもに対してイライラしてしまう自分を、責めてしまいます。

その気持ち、とてもよくわかります。私も長い間、そうでした。ただ、イライラすること自体は悪いことではなく、「今、自分のコップが空だよ」という体からのサインだと捉え直すと、少しだけ自分を責める気持ちが和らぎました。

同じようにしんどくなっている人に、この気づきが届けばいいなと思いながら、書きました。

最後まで読んでくれて、ありがとうございました。

※本記事は個人の体験に基づく内容です。子育てや心の状態には個人差があります。強い不調が続く場合は、専門機関にご相談ください。

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